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2018年に出会った10の名言

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どうもこんにちは、かげやまです。

 

その年に出会った名言の
ベスト10を記録するようになって
ついに10年となりました。

 

ちなみに、

 2009年は、こちら
 2010年は、こちら
 2011年は、こちら
 2012年は、こちら
 2013年は、こちら
 2014年は、こちら

 2015年は、こちら

 2016年は、こちら

 2017年は、こちら

 

なお、順位にあまり厳密な意味はありません。
お話しさせていただく上での流れなどもありますもので。

 

ひとつひとつの言葉とのご縁に
改めて感謝いたしますm(_ _)m

 

 

それではまいりましょうくるみ

 

次点

能楽師は美声であってはいけない

「資質の無さを自覚した者こそ、命を賭して稽古をする。幾度となく稽古を重ねることによって、技術だけでは表現できない強い型を得ることができる」

喜多流能楽師 塩津圭介さんの言葉です。

自分も声の周波数が低いのかなんなのか、通りが悪く、よく聞き返され、自分の耳にも聞こえにくく、高校生の頃は声が震えて、人前で教科書をまともに読むことができないくらいでした。ただその声と付き合い、なんとか通るように通るようにと工夫をしてきた結果、今はラジオでのお仕事までもいただけるくらいになりました。

誰しも長所が武器になるわけではない。むしろ短所を乗り越えたところにこそ「強い型」が生まることがあるというメッセージには、大きく励まされます。


第10位

たとえ潰れてもやってよかったと思えるお店

クルミドコーヒー、昨年10周年を迎えることができました。

この言葉は、お店の企画をしていた頃、マメヒコの井川さんから贈ってもらったメッセージです。

 

 

何事も、結果がどうなるかは分かりませんね。うまくいくこともあれば、いかないこともある。何かに挑戦しようとすればするほど、うまくいかない結果との付き合い方を学ばないといけなくなる。そのための一つの方法が、やることや過程にウソをつかないということじゃないかと思うんです。これをこうやって、ここまでやって、それでもダメならしょうがない。そういう道のりを歩めるか。

そして、そういう道を行くことが、結果的に、いい結果へと導いてくれることもあるのではないかと思うのです。


第9位

人が場を選んでるんじゃない

あなたは場に選ばれているんです

これは実は、お店のスタッフ、Hさんから教えてもらった言葉。Hさんさんはかつての勤め先の園長先生に贈ってもらった言葉だそうです。

今、自分がいる場には、その場にいるだけの必然性がやっぱりあるのだろうと思います。となりの芝生が青く見えたり、「ここではないどこか」へ行きたくなったりする気持ちは誰しもあるものだろうと思いますが、まず、自分の置かれた境遇を受け入れること、今の状況をゼロと思うこと、そこから一歩ずつでもよくしようとする努力を放棄しないこと。その姿勢さえあれば、きっとまた場によって、自分がいかされるようにもなっていくのだろうと思います。


第8位

発達が目的になってしまう矛盾がある

国分寺の仲間、冒険遊び場の会のプレイリーダー、奥冨裕司さんの言葉です。ドキッとしました。「児童発達支援」や「自立支援」といった言葉を、気が付くと自然に使ってしまうことがありますが、そこにはそのこどもや相手を「発達していない」「自立していない」とマイナスに捉えてしまう発想が潜んでいます。「〇〇しなければならない」と他者から押し付けられる関わりは、そうでないことに苦しむその人を一層窮地へと追い込むことにだってなりかねません。

「浮いたり沈んだりする、その過程に辛抱づよく付き合っていくしかない」──奥冨さんの言葉であり、実践です。


第7位

いちばん少ない生き方をするものが

いちばん豊かに生きることになる

これは、レイ・ブラッドベリ原作、萩尾望都まんがの『ウは宇宙船のウ』に収録された『集会』という短編の中の一つのセリフ。近いことを表現しようとするときに、「マイノリティ」や「少数派」のような言い方をすることがありますね。ただこうした表現はどうしても、そうした人々を「グループ」で捉えてしまうことに加え、そこに対義語としての「マジョリティ」や「多数派」をイメージさせてしまいます。そこを「いちばん少ない生き方」と言うことで、その焦点は個人に定まります。さらには、誰しもがなんらかの観点で「少ない生き方」をしていることへの想像力まで刺激されます。

世界の広がりが同じであるならば、分母が小さいということは、それだけ一人あたりの世界が広いということ。あなたにとっても、私にとっても。


第6位

一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん。もし死なば、多くの果を結ぶべし

元は、『ヨハネ伝』第12章24節のキリストの言葉。

昨年7月、仲間のお店 カフエ マメヒコ宇田川町店が、11年の営業に幕を下ろしました(記事)。その際に店頭配布された「号外」に記されていたのもこの言葉でした。お店をやるということは、前に進むことばかりではありません。日々、行きつ戻りつがその実態。ただ一つのお店がなくなるということは…、やっぱり大きなことですね。

ぼくが初めて井川さんにお会いしたのもこのお店でした。ぼくらもこのお店がつないでくれた「一つの果」です。


第5位

憲法学者にとっての当たり前とは

絶望せずに社会のあるべき方向性を示すことだ

今年、思いがけず、憲法学者の木村草太さんとトークイベントをさせていただく機会を得ました(@胡桃堂喫茶店)。

この言葉は、木村さんの著書、『憲法という希望』のあとがきから。

自分も『ゆっくり、いそげ』を書きながらも、未来はこっちだ!と信じつつも、各所でそうでない現実をみるにつけ、ああーと絶望的な気持ちになることがありました。ただ、現実がそうでないことは、アイデアそのものが間違っていることをそのまま意味するわけではないのですよね。たとえば「平和主義」「民主主義」「基本的人権」などのアイデアがそうであるように。

できることは、進むべき方向の正しさを信じ(それが信じられるものなのであれば)、一歩でもそこに近づけるよう、力を尽くすことだけなのでしょう。


第4位

宛先のはっきりしない手紙

(たった一人のためでいい)

これも今年の出来事。これまた縁あって、劇団民藝さんの公演『ペーパームーン』のパンフレットに寄稿させていただく機会をいただきました。そのお芝居の中では「漂流郵便局」が大事な舞台の一つとなっていて、そのことに触発されてつけたタイトルが上の言葉でした。

お店をやることは、宛先のはっきりしない手紙を書くようなことだなあと思うのです。これが、宛先がはっきりしていて、そこで生み出したい成果がはっきりしているのであれば、「やるべきこと」も自然と定まってくるもの。でもそうではないからこそ、ぼくらは日々の営業に、ぼくらにできるベストを投じていくしかない。そしてその「手紙」は、あるとき思いがけず、思いがけない人ところへと届くこともある。

考えてみれば、生きることそのものが、そういうものかもしれませんね。


第3位

時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられる

ご存知?、ミヒャエル・エンデの『モモ』からの一節。

たとえば、大きな会社で大きな仕組みの中で雇われて働く人は誰の時間を生きていることになるの?それは自分の時間?それとも会社の時間?もし後者だとすると、その時間は死んだ時間だということになる?

会社が「死んだ時間」を集めてつくり出すことができるのは「死んだ仕事」?それを売ることで手に入るのは「死んだお金」?会社はその死んだお金を葉巻(お給料)に変えて、灰色の男たちに配り、灰色の男たちはその葉巻を吸うことによってますます灰色に毒されていく?

そんな折、上場企業の「金庫」に積み上がる内部留保は過去最高を更新し続け、400兆円とも、500兆円とも。モモが、奪われた時間をみなに取り返してくれたように、この「金庫」に眠るお金が、みなのところへと帰っていけばいいのに。

(…というような話を、BRUTUSさんの取材でさせてもらいました『BRUTUS 2018年6/1号 <新・お金の、答え。>


第2位

一番感情移入できるレスラーが

最高のレスラーだ

新日本プロレス、内藤哲也選手の言葉です。

内藤選手は、雑誌Numberが主催する「プロレス総選挙」でも、2年連続1位となったスター選手。ぼくも大好きな選手の一人です。

 

 

この言葉の「レスラー」の箇所を「カフェ」に替えても通るなと思ったんです。勝ったや負けた。売上の大きさとか、どこかの評点とか、そういうことでお店の本当の価値が分かるわけではない。ぼくらはこれまで、「そのお店がなくなるとなったとき、そのことをどれだけの人が心から惜しんでくれるか」という言い方をしてきたのですけど、それはシンプルに「感情移入」と言い表せるのかもしれません。

お店の場合、それはお客さんとの間で重なりをつくることかなと思っています。「このお店のある部分は自分によってできている」そういう感覚をどこまで持ってもらえるか。ここのところ、ずっと考え続けているテーマです。


第1位
法隆寺は焼けてけっこう

岡本太郎さんの言葉。『日本の伝統』より。

「自分が法隆寺になればよいのです。」と続きます。

「そのような不逞の気魄にこそ、伝統継承の直流があるのです。むかしの夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮蔑し、おのれを貧困化することにしかならない。」

目が醒めるような思いでした。

今、ぼくらが「伝統」と呼んでいるものも、その当時からしてみたら相当に前衛的でパンクなものだったんだろうと思うのです。引き継ぐべきはその精神。もちろんリスペクトすべきはリスペクトしながらもそれに囚われず、現実と向き合い、それを乗り越え、「あの伝統はあのとき、あそこから始まった」と100年後に言われるような何かをつくり出すこと。

ぼくが、法隆寺になろうと思います。

 

 

お付き合い、ありがとうございます。

 

今年一年も大変お世話になりました。

心から感謝申し上げます。

 

2019年はまたきっと

新しい挑戦の一年となるはずです。

よろしければご一緒に。

 

どうか今後ともよろしくお願いいたします門松


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